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2011年09月
『運動会にちなんだうんちくクイズ』
スポーツの秋! といえばやはり運動会。頑張る我が子をムービー片手に追うパパ、ママの姿を今年もたくさん見かけるでしょう。そこで、
『運動会にちなんだうんちくクイズ』
問題:運動会にちなんだ次の記述のうち、間違っているものはどれでしょうか。
1. 運動会でのパン食い競走は、明治初期からあった。
2. 綱引きは、かつてはオリンピックの正式種目だった。
3. 「騎馬戦」や「棒倒し」はもともと反政府運動から始まったと言われている。
4. 防衛大学校の開校祭の呼び物「棒倒し」は、棒のてっぺんに人を乗せる。
5. 二人三脚はその人数により多人多脚となるが、ギネス記録は500人501脚である。
『運動会にちなんだうんちくクイズ』
問題:運動会にちなんだ次の記述のうち、間違っているものはどれでしょうか。
1. 運動会でのパン食い競走は、明治初期からあった。
2. 綱引きは、かつてはオリンピックの正式種目だった。
3. 「騎馬戦」や「棒倒し」はもともと反政府運動から始まったと言われている。
4. 防衛大学校の開校祭の呼び物「棒倒し」は、棒のてっぺんに人を乗せる。
5. 二人三脚はその人数により多人多脚となるが、ギネス記録は500人501脚である。
■賞品:東京ディズニーランド 1dayパスポートペアチケット 1組
■回答:番号でお答えください
■締め切り:2011年10月05日 (水)
■発表:メールマガジン2011年10月25日号にて。
※受付期間を過ぎたもの、必要事項がすべて記入されていないものは無効となります。
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クイズの答え
■ 正解:5
“運動会”にちなんだうんちく
1. 運動会でのパン食い競走は、明治初期からあった。
現在のような運動会が日本ではじめて行われたのは、1874年(明治7年)海軍兵学寮で、兵学寮の教師であったイギリス人の指導で行われたといわれています。運動会という名ではなく、「競闘遊技会」と呼ばれました。それから4年後、北海道の札幌農学校で、「遊戯会」という名前で行われた運動会では、陸上競技のほか、竹馬競争、蛙跳び競争、食菓競争(パン喰い競争)のようなレクリエーション種目が行われたといいます。
2. 綱引きは、かつてはオリンピックの正式種目だった。
「綱引き」のスポーツとしての歴史は古く、紀元前2500年もの昔に遡り、エジプト、サッカラの古墳の壁に綱引きの様子が彫られているのが発見されています。紀元前500年頃にはギリシャで競技スポーツとして盛んに行われていました。近代オリンピックでも、第2回パリ大会(1900年)から第7回アントワープ大会(1920年)まで、正式種目として取り入れられていました。
3. 「騎馬戦」や「棒倒し」はもともと反政府運動から始まったと言われている。
日本で運動会が始まって間もない頃、まだ国会が無かった時代に国会を開くことや憲法を作ることを主張した政治運動・自由民権運動が「騎馬戦」や「棒倒し」のルーツでした。
当時は政府の力が強くて、政府に反対する人たちは、意見を堂々と言うことができず、自由民権運動をしていた人々(壮士と呼ばれている)は、どうやって自分たちの主張を聞いてもらおうかと考えた末、目をつけたのが運動会。自ら“壮士運動会”を開催し、「政権争奪騎馬戦」と「圧政棒倒し」という種目を考案しました。騎馬戦は、だれが政治のリーダーになるかを競う姿をゲームにしたもの。棒倒しには、当時の政府を倒す意味を込めたということです。
4. 防衛大学校の開校祭の呼び物「棒倒し」は、棒のてっぺんに人を乗せる。
防衛大学校の棒倒しは、海軍兵学校の時代から続く伝統的な競技の一つで、参加者は所属する大隊の名誉をかけ、毎年参加者に死者が出ないのが不思議といわれるほど、まさに死ぬ気で戦います。攻撃、防御に分けられ、攻撃役は上着に各大隊のカラー(赤・青・緑・橙)に染められたシャツを着用、防御役は白のシャツを着用。棒のてっぺんには人が乗りますが、ルールは至って簡単で、開始の合図と共に2分以内に敵の棒を倒すこと(棒が3秒間30度倒れた時点で倒れたとみなされる)。
6. 二人三脚はその人数により多人多脚となるが、ギネス記録は305人306脚である。
2010年11月28日、東京代々木公園の陸上競技場で達成されました。それまでの記録は、オーストリアでの265人266脚。ルールは、50メートル歩ききることと。一見簡単そうですが、1人が5cmずれても、300人規模だと15メートルものずれが生じてしまうので、全員の歩幅が合わないと相当難しいのです。
“運動会”にちなんだうんちく
1. 運動会でのパン食い競走は、明治初期からあった。
現在のような運動会が日本ではじめて行われたのは、1874年(明治7年)海軍兵学寮で、兵学寮の教師であったイギリス人の指導で行われたといわれています。運動会という名ではなく、「競闘遊技会」と呼ばれました。それから4年後、北海道の札幌農学校で、「遊戯会」という名前で行われた運動会では、陸上競技のほか、竹馬競争、蛙跳び競争、食菓競争(パン喰い競争)のようなレクリエーション種目が行われたといいます。
2. 綱引きは、かつてはオリンピックの正式種目だった。
「綱引き」のスポーツとしての歴史は古く、紀元前2500年もの昔に遡り、エジプト、サッカラの古墳の壁に綱引きの様子が彫られているのが発見されています。紀元前500年頃にはギリシャで競技スポーツとして盛んに行われていました。近代オリンピックでも、第2回パリ大会(1900年)から第7回アントワープ大会(1920年)まで、正式種目として取り入れられていました。
3. 「騎馬戦」や「棒倒し」はもともと反政府運動から始まったと言われている。
日本で運動会が始まって間もない頃、まだ国会が無かった時代に国会を開くことや憲法を作ることを主張した政治運動・自由民権運動が「騎馬戦」や「棒倒し」のルーツでした。
当時は政府の力が強くて、政府に反対する人たちは、意見を堂々と言うことができず、自由民権運動をしていた人々(壮士と呼ばれている)は、どうやって自分たちの主張を聞いてもらおうかと考えた末、目をつけたのが運動会。自ら“壮士運動会”を開催し、「政権争奪騎馬戦」と「圧政棒倒し」という種目を考案しました。騎馬戦は、だれが政治のリーダーになるかを競う姿をゲームにしたもの。棒倒しには、当時の政府を倒す意味を込めたということです。
4. 防衛大学校の開校祭の呼び物「棒倒し」は、棒のてっぺんに人を乗せる。
防衛大学校の棒倒しは、海軍兵学校の時代から続く伝統的な競技の一つで、参加者は所属する大隊の名誉をかけ、毎年参加者に死者が出ないのが不思議といわれるほど、まさに死ぬ気で戦います。攻撃、防御に分けられ、攻撃役は上着に各大隊のカラー(赤・青・緑・橙)に染められたシャツを着用、防御役は白のシャツを着用。棒のてっぺんには人が乗りますが、ルールは至って簡単で、開始の合図と共に2分以内に敵の棒を倒すこと(棒が3秒間30度倒れた時点で倒れたとみなされる)。
6. 二人三脚はその人数により多人多脚となるが、ギネス記録は305人306脚である。
2010年11月28日、東京代々木公園の陸上競技場で達成されました。それまでの記録は、オーストリアでの265人266脚。ルールは、50メートル歩ききることと。一見簡単そうですが、1人が5cmずれても、300人規模だと15メートルものずれが生じてしまうので、全員の歩幅が合わないと相当難しいのです。
【 当選発表 】
K.Gさん 電気工事技術科 2005年卒業
現在応募期間対象外です。 K.Gさん 電気工事技術科 2005年卒業
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