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とくとくコーナー クイズに答えて素敵な賞品をもらおう!
2018年10月
『達人の言葉シリーズ28』
『この言葉を語った「達人」は?』
問題: 次の名言を語った人は1~3のどれでしょうか。
「組織の文化を丸ごと受け入れて、その組織にフィットするように自分を変えることが重要です。どんな職業の人にも言えることではないかと思います」
1. アレックス・ラミレス
2. ボビー・バレンタイン
3. トレイ・ヒルマン
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問題: 次の名言を語った人は1~3のどれでしょうか。
「組織の文化を丸ごと受け入れて、その組織にフィットするように自分を変えることが重要です。どんな職業の人にも言えることではないかと思います」
1. アレックス・ラミレス
2. ボビー・バレンタイン
3. トレイ・ヒルマン
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■賞品:下記の通り
■回答:番号でお答えください
■締め切り:2018年11月10日 (土)
■発表:メールマガジン2018年11月27日号にて。
※受付期間を過ぎたもの、必要事項がすべて記入されていないものは無効となります。
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クイズの答え
正解… 1.アレックス・ラミレス
解説
アレックス・ラミレス氏は、1974年10月3日生まれ、ベネズエラのミランダ州カラカス出身。兄の影響で5歳から野球を始め、18歳のときにクリーブランド・インディアンズとマイナー契約。1999年秋にメジャーデビューを果たし、翌年夏にピッツバーグ・パイレーツへ移籍。米国では顕著な実績は残せず、車のローンの支払いのために1年だけ日本で稼ぐつもりで、2000年冬、ヤクルトスワローズに入団しました。
当初は変化球を多投する日本の投手に苦しみましたが、ホームランよりも左右に打ち分ける打法に切り替え、1年目に打率.280、29本塁打、88打点の好成績をマーク。その後も毎年、安定した数字を残し、2003年には本塁打王、打点王、最多安打、ベストナインのタイトルを獲得します。
2007年には外国人の右打者として史上初のシーズン200安打をマーク。読売ジャイアンツへ移籍した2008年からも打線の中核として常に存在感を放ち、チームのリーグ制覇や日本一に大きく貢献。そして、横浜DeNAへ移った2シーズン目の2013年には、外国人枠で入団した選手として初となる通算2000安打を達成しました。
その後、不調が続き、横浜DeNAから戦力外通告を受け、2014年ベースボール・チャレンジ・リーグの群馬ダイヤモンドペガサスに打撃コーチ兼任の外野手として入団しますが、シーズン途中で米国の家族の必要のために帰国。一度は復帰するも、同年で現役を引退します。
2015年10月、横浜DeNA監督に就任。2016年シーズンは、リーグ3位で球団初のクライマックスシリーズに進出を果たします。翌2017年シーズンもリーグ3位でしたが、クライマックスシリーズでは1stステージで2位の阪神に2勝1敗で勝利し、クライマックスシリーズ・ファイナルステージへ進出。シーズン1位の広島に4勝2敗(広島に1勝のアドバンテージ含む)で勝利し、球団として19年ぶりの日本シリーズ進出を果たします。
2018年は先発投手陣の不調など誤算もあり優勝争いから早々と脱落、Aクラスを逃し、責任をとって退団を表明しますが、球団から慰留され、来年も指揮をとることになりました。
ラミレス氏が日本で成功したのは、メジャーリーグ出身という誇りを捨て、謙遜に日本の野球から学ぼうとしたところにあります。
そんなラミレス氏の名言の幾つかを。
「自分はコーチに、どうやって相手に敬意を表するか、相手を尊敬する気持ちを持つことがいかに重要なのかを教わってきた。相手に敬意を表することは、人生で成功していくためにいちばん重要な気持ちだと思う。そこをしっかり勉強したことがいちばん大きかった。」
「監督として何も言わずに静かにしていることが、選手にとってはモチベーションになる。」
「一流の選手はみんな強いメンタリティーを持っています。メンタルが強いとは、成績が良い時も悪い時も、自分に自信を持ちポジティブな気持ちでいられることです。若い選手には、『いつも同じでいなさい』とよくアドバイスしています。」
解説
アレックス・ラミレス氏は、1974年10月3日生まれ、ベネズエラのミランダ州カラカス出身。兄の影響で5歳から野球を始め、18歳のときにクリーブランド・インディアンズとマイナー契約。1999年秋にメジャーデビューを果たし、翌年夏にピッツバーグ・パイレーツへ移籍。米国では顕著な実績は残せず、車のローンの支払いのために1年だけ日本で稼ぐつもりで、2000年冬、ヤクルトスワローズに入団しました。
当初は変化球を多投する日本の投手に苦しみましたが、ホームランよりも左右に打ち分ける打法に切り替え、1年目に打率.280、29本塁打、88打点の好成績をマーク。その後も毎年、安定した数字を残し、2003年には本塁打王、打点王、最多安打、ベストナインのタイトルを獲得します。
2007年には外国人の右打者として史上初のシーズン200安打をマーク。読売ジャイアンツへ移籍した2008年からも打線の中核として常に存在感を放ち、チームのリーグ制覇や日本一に大きく貢献。そして、横浜DeNAへ移った2シーズン目の2013年には、外国人枠で入団した選手として初となる通算2000安打を達成しました。
その後、不調が続き、横浜DeNAから戦力外通告を受け、2014年ベースボール・チャレンジ・リーグの群馬ダイヤモンドペガサスに打撃コーチ兼任の外野手として入団しますが、シーズン途中で米国の家族の必要のために帰国。一度は復帰するも、同年で現役を引退します。
2015年10月、横浜DeNA監督に就任。2016年シーズンは、リーグ3位で球団初のクライマックスシリーズに進出を果たします。翌2017年シーズンもリーグ3位でしたが、クライマックスシリーズでは1stステージで2位の阪神に2勝1敗で勝利し、クライマックスシリーズ・ファイナルステージへ進出。シーズン1位の広島に4勝2敗(広島に1勝のアドバンテージ含む)で勝利し、球団として19年ぶりの日本シリーズ進出を果たします。
2018年は先発投手陣の不調など誤算もあり優勝争いから早々と脱落、Aクラスを逃し、責任をとって退団を表明しますが、球団から慰留され、来年も指揮をとることになりました。
ラミレス氏が日本で成功したのは、メジャーリーグ出身という誇りを捨て、謙遜に日本の野球から学ぼうとしたところにあります。
そんなラミレス氏の名言の幾つかを。
「自分はコーチに、どうやって相手に敬意を表するか、相手を尊敬する気持ちを持つことがいかに重要なのかを教わってきた。相手に敬意を表することは、人生で成功していくためにいちばん重要な気持ちだと思う。そこをしっかり勉強したことがいちばん大きかった。」
「監督として何も言わずに静かにしていることが、選手にとってはモチベーションになる。」
「一流の選手はみんな強いメンタリティーを持っています。メンタルが強いとは、成績が良い時も悪い時も、自分に自信を持ちポジティブな気持ちでいられることです。若い選手には、『いつも同じでいなさい』とよくアドバイスしています。」
【 当選発表 】
M.Kさん Webデザイン科(2010年卒)
S.Aさん 高度コンピュータグラフィックス科( 2011年卒)
M.Kさん Webデザイン科(2010年卒)
S.Aさん 高度コンピュータグラフィックス科( 2011年卒)
賞品詳細
賞品1
「東京ディズニーランド 1dayパスポートペアチケット」を応募数20名毎に1組へ!
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