日本電子専門学校同窓会 > とくとくコーナー
とくとくコーナー クイズに答えて素敵な賞品をもらおう!
2015年10月
『私はだれでしょう?シリース18』
問題:次の5つをヒントに「私」は誰かを当ててください。
1. 私は農家の長男として生まれたので、小学生の頃は、「将来は農家を継ぐのだから勉強はしなくていい」と思ってました。
2. 私は高校のときスキーに夢中になり、クロスカントリーで国体に2度出場、大学でも勉強よりスキーに熱中してました。
3. 私は大学卒業後、定時制高校の教師になり、働きながら必死に学ぶ生徒の姿に心を打たれ、もう一度真剣に勉強し直そうと決意しました。
4. 私の研究は、動物や人間に効く新薬を開発するために土の中の菌を調べることで、米国の製薬会社と共同研究しています。
5. 私の研究は、ぜんぶ微生物がやってくれている仕事を整理しただけなんですが、今年のノーベル医学生理学賞をいただきました。
1. 私は農家の長男として生まれたので、小学生の頃は、「将来は農家を継ぐのだから勉強はしなくていい」と思ってました。
2. 私は高校のときスキーに夢中になり、クロスカントリーで国体に2度出場、大学でも勉強よりスキーに熱中してました。
3. 私は大学卒業後、定時制高校の教師になり、働きながら必死に学ぶ生徒の姿に心を打たれ、もう一度真剣に勉強し直そうと決意しました。
4. 私の研究は、動物や人間に効く新薬を開発するために土の中の菌を調べることで、米国の製薬会社と共同研究しています。
5. 私の研究は、ぜんぶ微生物がやってくれている仕事を整理しただけなんですが、今年のノーベル医学生理学賞をいただきました。
■賞品:下記の通り
■回答:名前をフルネームでお答えください
■締め切り:2015年11月10日 (火)
■発表:メールマガジン2015年11月25日号にて。
※受付期間を過ぎたもの、必要事項がすべて記入されていないものは無効となります。
※とくとくコーナーはメールマガジン会員様のプレゼント企画です。
ご応募にはメールマガジン会員様に配布されるアクセスキーが必要ですのでご注意下さい。
メールマガジン会員新規登録はコチラ>>
クイズの答え
■前回の正解…大村 智
今年のノーベル医学・生理学賞に輝いた大村智さんは、昭和10年、山梨県神山村(現韮崎市)の農家の長男として生まれました。父親は村の有力者で裕福でしたが、小さい頃から野良仕事を手伝わされ、中学までに一通り農家の仕事ができるよう厳しく育てられたといいます。それで小学生の頃は、「将来は農家を継ぐのだから勉強はしなくていい」と思っていました。両親も「勉強をしなさい」とは言いませんでしたが、英語の勉強だけはするよう熱心に勧められ、のちにそれが大いに役立つことになります。
高校生になってスキーに夢中になり、クロスカントリーの選手として国体に2度も出場するほど上達します。高校3年のときに「勉強したいなら大学に行ってもよい」と父親に言われ、山梨大学学芸学部自然科学科に入学しますが、勉強よりスキーに夢中になっていました。
大学卒業後、東京都立墨田工業高校の夜間部の教諭になります。ある日、試験監督で教室を見回っているとき、油で汚れている手のまま必死で答案を書いている生徒の姿を見て、「自分は大学まで出してもらっているのに、なぜもっと勉強しなかったのか」と悔い、「もう一度真剣に勉強し直そう」と決心、東京教育大学の研究生を経て東京理科大学大学院修士課程に入学。朝は理科大で実験し、夜は定時制高校で教鞭をとるという睡眠時間を削る生活でしたが、農作業とスキーで鍛えた体力と精神力で乗り越えました。
1963年、東京理科大学大学院修士課程を修了した後、山梨大学工学部助手を経て65年、北里研究所に入所、ロイコマイシンの研究に従事し、68年同研究により東京大学より薬学博士の学位を授与され北里大学薬学部助教授に就任します。71年に米国に留学、大手製薬会社メルク・アンド・カンパニーとの共同研究に着手します。
帰国後、北里研究所抗生物質室室長となり、アフリカや中南米で広がる「顧みられない熱帯病」の制圧のために土中の微生物の研究に没頭π。74年、静岡県伊東市の川奈ゴルフ場近くの土中から採取した放線菌をメルクに送ると、寄生虫の撃退に効果があることが判明、これをもとに家畜用抗寄生虫薬『イベルメクチン』ならびに熱帯病のワクチン『エバーメクチン』の開発に貢献します。
ノーベル医学・生理学賞を受賞した時のインタビューでは、「私自身がものを作ったり、難しいことをしたりしたわけではない。全部微生物の仕事を整理しただけ。それなのにこんな賞をいただいていいのかな」と発言して話題になりました。
今年のノーベル医学・生理学賞に輝いた大村智さんは、昭和10年、山梨県神山村(現韮崎市)の農家の長男として生まれました。父親は村の有力者で裕福でしたが、小さい頃から野良仕事を手伝わされ、中学までに一通り農家の仕事ができるよう厳しく育てられたといいます。それで小学生の頃は、「将来は農家を継ぐのだから勉強はしなくていい」と思っていました。両親も「勉強をしなさい」とは言いませんでしたが、英語の勉強だけはするよう熱心に勧められ、のちにそれが大いに役立つことになります。
高校生になってスキーに夢中になり、クロスカントリーの選手として国体に2度も出場するほど上達します。高校3年のときに「勉強したいなら大学に行ってもよい」と父親に言われ、山梨大学学芸学部自然科学科に入学しますが、勉強よりスキーに夢中になっていました。
大学卒業後、東京都立墨田工業高校の夜間部の教諭になります。ある日、試験監督で教室を見回っているとき、油で汚れている手のまま必死で答案を書いている生徒の姿を見て、「自分は大学まで出してもらっているのに、なぜもっと勉強しなかったのか」と悔い、「もう一度真剣に勉強し直そう」と決心、東京教育大学の研究生を経て東京理科大学大学院修士課程に入学。朝は理科大で実験し、夜は定時制高校で教鞭をとるという睡眠時間を削る生活でしたが、農作業とスキーで鍛えた体力と精神力で乗り越えました。
1963年、東京理科大学大学院修士課程を修了した後、山梨大学工学部助手を経て65年、北里研究所に入所、ロイコマイシンの研究に従事し、68年同研究により東京大学より薬学博士の学位を授与され北里大学薬学部助教授に就任します。71年に米国に留学、大手製薬会社メルク・アンド・カンパニーとの共同研究に着手します。
帰国後、北里研究所抗生物質室室長となり、アフリカや中南米で広がる「顧みられない熱帯病」の制圧のために土中の微生物の研究に没頭π。74年、静岡県伊東市の川奈ゴルフ場近くの土中から採取した放線菌をメルクに送ると、寄生虫の撃退に効果があることが判明、これをもとに家畜用抗寄生虫薬『イベルメクチン』ならびに熱帯病のワクチン『エバーメクチン』の開発に貢献します。
ノーベル医学・生理学賞を受賞した時のインタビューでは、「私自身がものを作ったり、難しいことをしたりしたわけではない。全部微生物の仕事を整理しただけ。それなのにこんな賞をいただいていいのかな」と発言して話題になりました。
賞品詳細
賞品1
人気の「東京ディズニーランド 1dayパスポートペアチケット」を1組(2名分)に!
- 次へ>>
- 136
- 135
- 134
- 133
- 132
- 131
- 130
- 129
- 128
- 127
- 126
- 125
- 124
- 123
- 122
- 121
- 120
- 119
- 118
- 117
- 116
- 115
- 114
- 113
- 112
- 111
- 110
- 109
- 108
- 107
- 106
- 105
- 104
- 103
- 102
- 101
- 100
- 99
- 98
- 97
- 96
- 95
- 94
- 93
- 92
- 91
- 90
- 89
- 88
- 87
- 86
- 85
- 84
- 83
- 82
- 81
- 80
- 79
- 78
- 77
- 76
- 75
- 74
- 73
- 72
- 71
- 70
- 69
- 68
- 67
- 66
- 65
- 64
- 63
- 62
- 61
- 60
- 59
- 58
- 57
- 56
- 55
- 54
- 53
- 52
- 51
- 50
- 49
- 48
- 47
- 46
- 45
- 44
- 43
- 42
- 41
- 40
- 39
- 38
- 37
- 36
- 35
- 34
- 33
- 32
- 31
- 30
- 29
- 28
- 27
- 26
- 25
- 24
- 23
- 22
- 21
- 20
- 19
- 18
- 17
- 16
- 15
- 14
- 13
- 12
- 11
- 10
- 9
- 8
- 7
- 6
- 5
- 4
- 3
- 2
- 1
- <<前へ